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月曜日, 1月 07, 2008

新撰組・重田局長



もう何年も宮崎で新年を迎えていませんね。子供のころ晦日といえば、近所の友達と夜中に自転車を走らせて神宮へ御参りに行くのが恒例でした。一番街のミスタードーナッツで待ち合わせて御参りが終わっても真っすぐ家に帰らず夜明けまで悪友共とブラブラしたものです。夜が明ければ親戚の家を盗賊のごとく駆け回り御年玉を集め、冬休みが終わるギリギリまで資本金を元に遊んでいました。そんな最高の時も遠い昔のこと、また今年もロスで年越しです。
御存知の方も多いでしょう?、アメリカの年末年始は11月末のサンクスギビング(感謝祭)から始まりクリスマスには一番の盛り上がりを見せるのですが、クリスマスが過ぎれば年越しはサッパリしたもので新年の2日から銀行も郵便局も通常の営業を始めます。そしたら、全く正月らしくないの?と思われがちですが、世界でも指折りの日系社会があるロサンゼルス(アメリカ西海岸)、それなりに和風な新年を過ごす事ができます。31日にはNHK紅白歌合戦、リトル東京では新年の祭り、昔からあるレストランでは雑煮も振る舞われ、ささやかながら正月気分は味わえます。
ここ数年、帰郷しないロスの新年は決まって、御世話になっているレストラン新撰組のオーナー、重田さん(以下:重田局長*御店の名前が新撰組なので)の店でスタッフと一緒に正月の集まりに参加するのが我が家の恒例になりました。
重田局長は鹿児島県徳之島の出身、全米芦原空手のチャンピオンという経歴を持つ人物で15年前に小さな焼き鳥屋をオープン、その店舗も15年経った今ではアメリカと日本に焼き鳥、しゃぶしゃぶ、炉端、総菜屋、ラーメン屋、チゲ鍋屋など10店舗以上の御店を展開するまでになりました。今年は東京に新しく2店舗出展させる他、近くハワイ、ニューヨークにも出店計画があるそうです。僕がロスに住み始めた頃、知り合いが新撰組でアルバイトをしてた事が切っ掛けで局長と知り合うことに。情に熱く、涙もろい局長を慕って集まったスタッフ/ファミリーは100人を超えます。正月1日の新年会は一番最初にオープンした焼き鳥本屋隣のチャンコ屋の二十帖ほどある座敷で各店舗から集結したスタッフと大皿料理をつつきながら飲み会です。大勢でワイワイ飲み食いしながら、迎える正月は爺さんの家に親戚が集まって迎えた懐かしい正月を思い出させてくれます。


<写真説明>
2007年9月に新撰組は大型店を中華街にオープンしました。今、中国がバブル経済ということもあり、リトル東京をはじめ衰退するアメリカの日系社会とは裏腹に中華街は日々活気に満ちあふれています。ただ、中華街で日本食レストランをやれば必ず繁盛するという保証もなく、今回、重田局長がオープンした店舗も数ヶ月に廃業したシャブシャブ屋でした。「象に立ち向かう蟻の心境です、小さな力が集まれば象でも倒せると言う事を実証したい」と重田局長。新店舗入り口の邪気を払うために駆けつけた武蔵丸とのカット、両者後ろに飾られているのは国技館に飾られている歴代優勝者の自画像

リンク/新撰組
http://www.shinsengumiusa.com

月曜日, 12月 17, 2007

Love is Almighty・ラブ イズ オールマイティー(愛は万能)


ウチの爺さんの好きな言葉で「Love is Almighty・ラブ イズ オールマイティー(愛は万能)って言葉が有るんだよね〜、」そう話すのは東京の知人、早川雪舟の孫にあたる人物。直接見た事はないが、彼の家に行くと爺さんと著名人のトンデモナイ写真が沢山あるらしい。トンデモナイというのは爺さんのポーズではなく登場人物の内容だ。チャップリン、ベーブルース、アメリカを代表する殿堂級の人物ばかりである。いまさら僕が言う事でもないが、早川雪舟は第二次世界大戦前にハリウッドでチャップリンと肩を並べるほどのギャラ(出演料)を貰っていた日本人ハリウッドスター。 歴代の日本人ハリウッドスターといえば三船敏郎、高倉健などから始まり、ここ数件は、ライトサムライに出演した渡辺謙が注目されていているが、当時の雪舟はケン・ワタナベどころのレベルではない超・スーパースターだったのだ。有名女優とのスキャンダルは勿論、ハイウッドに城を建てるし、そこで毎晩パーティーを開いては映画関係者を招いて豪華絢爛な宴を催していたそうです。千葉の漁師の網元に生まれ、視力に問題が有り軍隊に入れなかった事からアメリカ留学を決意する。(80年も前にアメリカ留学するという事だから裕福な家の子だったのだろう。)たまたま、訪れたロサンゼルスで日系の旅一座の舞台を見たときに、演出や衣装などが、本当の日本の姿とは大きく異なっていた事にショックを受け、自ら一座に入ることを座長に申し出て、参加することに。そのとき知り合った一座の看板娘(後に最初の奥さんになる人)が何ともエキゾチックな顔をした雪舟をハリウッドのプロデューサーに売り込んだことが切掛けとなりハリウッドスターの頂点にまで昇りつめる。出演する作品は全て大ヒット、ハリウッドでも1、2を争う高額な出演料をとる役者までになった。時代が第二次世界大戦に入ると排日運動の影響でアメリカを離れヨーロッパに拠点を移すが、そこでも上演した舞台までも次々に大成功に納めたそうだ。戦後は日本で余生を送るが、日米関係の修復と共に再びハリウッド映画へと返り咲いた。さて話はもどって、「Love is Almighty・ラブ イズ オールマイティー」だが、これって完全な雪舟氏の造語。英語では通常使いません、でも、この言葉を聞いたアメリカ人は、おそらく理解し、ニコッと微笑むでしょうね。愛でハリウッド・サクセスを掴めた男だからこそ、言葉に深みがある。表現の基本にこだわる事なく自分のスタイルで言葉を発せられる雪舟だから成功出来たのかもしれませんね。